2025 05,08 19:44 |
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2008 09,03 23:54 |
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寝台列車で東京へ到着!! PR |
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2008 09,02 23:54 |
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今日は博多から南下して熊本へ向かう。 |
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2008 09,01 23:52 |
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今日から9月である。8月を振り返れば、なんだかゲリラ雨に襲われた1か月となった。
今日は広島から一路博多へ向かう。 広島よりなぜかラッシュ時なのに4両の満員電車に乗って下関に向かう。満員といっても岩国あたりで解消されましたが・・・ 下関到着後はバスに乗って、赤間神宮へ。赤間神宮は源平の争乱で敗れた平氏側で擁立された安徳天皇を祀る神社。社内には、壇ノ浦で落ちた平家の墓や耳なし芳一を弔った祠などがあった。またそばには日清戦争の講和条約が結ばれた春帆楼があり、そばには下関講和条約記念館があった。 ↑赤間神宮 その後、徒歩で関門人道トンネルに向かう。本州と九州を結ぶトンネルで、高速は橋・国道と人道はトンネルとなっている。人道は無料で、自転車のみ20円の通行料がとられる。 ↑山口県側の標識 ↑トンネル内の山口県・福岡県の県境 ↑福岡県側の入り口 歩いて約30分ぐらいかかった。列車や車で幾度となく九州に上陸したが、歩いて上陸したの初めてだ。 で、ここからが計画外の始まり・・・ 門司港までのバスがなく(時間的に)、ひたすら歩く。途中親切なおじさんに道を教えてもらうも、「すぐそこ」に惑わされた。結局1時間以上歩いた。途中、ものすごい臭い倉庫のそばを通る。多分、魚のえさ(撒餌)だろう・・・(皆さんほんとに申し訳ないです・・・) なんとか門司港駅に到着。 駅と街全体がかなりモダンであった。歩き疲れて、観光もできなかった。正直想定外の出来事・・・ 駅で、1時間ぐらい休憩したのち一路博多に向かう。 博多に到着後、夕立の中屋台のラーメンを食べに行く。しかし雨ってホントに厄介なやつだ・・・ 夕食後、ホテルに着いたころにはみなさんへとへと。わたしもへとへと。 付録:行程表(記号の説明 ( )乗り換え //下車 ∽折り返し ・・・徒歩) 【3日目:広島~博多】 ホテル・・・広島→<普通下関行>→下関//→<サンデンバス>→赤間神宮//・・・壇ノ浦・・・関門人道トンネル・・・門司港→<快速荒尾行>→博多//・・・ホテル・・・中州屋台・・・ヨドバシカメラ・・・ホテル |
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2008 08,31 23:51 |
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今日は青春18きっぷの旅にも関わらず、18きっぷを使わない旅となった。 |
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2008 08,30 23:50 |
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今日から長大な旅に出る。「どこに行くのか」と聞かれると非常に返答しにくい。まあ日本全国である。 |
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2008 08,02 06:30 |
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快速ムーンライト九州に乗って朝6時40分に大阪駅に着く。
普通ならそのまま家に帰るのだが、9時30分にtrans-portさんと大阪駅でま合わせしているので家に帰らず、どこかをさまようことにした。 以前より3月に開業した「さくら夙川」へ鉄撮りに行きたいと考えていた。いい機会なので一度行ってみた。 ↑221系 曇り空だったのであまりいい写真を撮ることができなかった。上の写真はまあまあましなモノを載せた。 再度大阪に到着しtrans-portさんと合流。緑の窓口で所要を済ませた後、某魔法学校をやる。 自宅に着いたのは午後16時ごろだったと思う。 今回の旅を振り返ってみると本当に足早に過ぎ去ったと思う。しかし過去の旅の中で最も充実したんではないかと思う。夏真っ盛り、バイトの合間を縫って旅にまた出かけようと思う。 【4日目:~帰路】 割愛します・・・ |
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2008 08,01 22:44 |
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九州に上陸して2日目。旅行開始から3日目の今日は福岡県・佐賀県をめぐる。
ホテルを8時頃にチェックアウトする。その後スーツケースを博多駅構内のコインロッカーに預ける。2011年に向けて大改装中の博多駅。大阪駅に比べるとまだまだ行動しやすい。 地下鉄に乗り換えて、そのまま筑肥線にダイレクトイン。筑肥線は以前series500さんと下山門で乗車した路線である。今回は終点の唐津まで向かう。 唐津に行く目的は2つ。1つは今回の旅の目的である「城」唐津城に行く。もう1つは唐津沖合にある高島の宝当神社に参拝すること。の2つである。 まず唐津城。寺沢氏が1595年に豊臣秀吉から任じられる。その後江戸期には小笠原氏の居城となる。山城なので、江の島のようにエスカーレータではなく、エレベーターが有料で乗れた。つい乗ってしまった。 ↑唐津城 唐津城登城の後、2つ目の目的地の高島に向かう。 高島は当然しまなので、船で渡らなければならない。定期便もあるがきわめて少ないので、海上タクシーというものを使う。 高島になぜ言ったかは神社に参拝することであるが、この神社はちょっと特殊である。小さな神社なんだが多くの人が参拝する。な~ぜ~ 宝当神社は名の通り、宝くじのあたる神社という。社の中には多くの当たり券のコピーが貼ってあった。誰しも夢を買う。最近はロトという数字形式のものがあるので、簡単に当たりそうで当たらないのが現状・・・ 私も神頼みに参拝した。というわけです。 まあ夢は買わないとだめですけどね・・・ 昨日のblogにも述べたが、大変な弾丸ツアー。当然途中で次の電車に間に合わない時間に。猛ダッシュ・・・ ここにきて計画ミス??って感じでした。 何とか電車には乗れました。もう疲れました。まだ行程の1/3も経っていないのに・・・ 電車に振られて、佐賀に到着。佐賀県・・・ 長崎と福岡に挟まれた地味な県。というイメージがあった。が今回の旅で完全に覆された。(私の知識が少し少なすぎたかな・・・) 佐賀城というものがあった。天災に見舞われて今は門しか残っていないが、本丸御殿は資料館として改装された。今回は城(天守閣)が佐賀にはないが本丸御殿の資料館を訪ねた。 ↑佐賀城本丸御殿資料館 佐賀藩は江戸末期に鍋島直正公の西洋近代化に対する熱い思いのもとで、藩政改革がおこなわれた。その結果、薩長土肥の一つに数えられることになり、藩内では優秀な人材が生まれた。 早稲田大学の創始者である大隈重信や日本赤十字社を創設した佐野常民・東京駅などを設計した辰野金吾などの近代国家の礎というべき方々を輩出した。 藩政改革から近代国家の歩みまでを紹介しているのがこの本丸御殿の資料館である。 資料館ではボランティアの方に親切に内容を教えていただいた。昨日の杵築に続き本当にいい経験ができた。 佐賀からは又電車に乗り、そばの有名な遺跡へと向かう。 吉野ヶ里遺跡 高校の時だったと思う。S模試の時に、この吉野ヶ里遺跡という語句がど忘れ出かけなくて、90点を切ってしまった苦渋の思いがある遺跡・・・ その時はO先生から「なんで書かれへんのや(笑)」と言われました・・・ ↑竪穴住居と高床倉庫 そんな苦い経験のある遺跡。当然今は公園として整備されています。 炎天下の中約一時間ばかり散策する。これといった珍しいものはなく、ただ高床倉庫や竪穴住居などが再現されてた。弥生時代を代表する遺跡で、階級社会が既に形成されていることを遺跡の配置から伺うことができた。 遺跡を見終わり、また電車に揺られて博多に戻る。 そして快速ムーライト九州で大阪に戻る・・・ 今回の旅は本当に充実した旅となった。 日ごろの生活では味わうことのできない非日常を味わくことができた本当によかった。強いて一つやり残したことを挙げると、現地でおいしいものを食べ忘れたということだ。食べ忘れたというより疲れて食べれなかったというのが正しいかも・・・ 旅は家に着くまでが旅なので、明日も家に着くまでの紀行をblogに書きたい。 【3日目:博多~唐津~佐賀~博多~帰路】 付録:行程表(記号の説明 ( )乗り換え //下車 ∽折り返し ・・・徒歩) ホテル・・・博多→<福岡市営地下鉄空港線姪浜行>→(姪浜//)→<普通筑前前原行>→(筑前前原)→<普通唐津行>→唐津//・・・唐津城→<海上タクシー>→高島→<海上タクシー>→船着場・・・<バス>→唐津→<普通佐賀行>→佐賀//・・・佐賀城本丸御殿資料館・・・佐賀→<普通鳥栖行>→吉野ケ里公園//・・・吉野ケ里公園遺跡・・・吉野ケ里公園→<普通鳥栖行>→(鳥栖)→<準快速小倉行>→(博多//)→<快速ムーンライト九州新大阪行>→夜は更ける |
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2008 07,31 22:28 |
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昨日新大阪から乗った列車は、下関・小倉で機関車を取り換えて降りるべき小倉駅に到着。
小倉からは日豊本線に乗り換える。平日だったので仕事をされている方々が乗っていた。旅行して手申し訳ない・・・ 途中より高校生が多く乗ってきた。九州の高校生はなぜか平気に床に座る。まだ大阪のほうがモラルが高いかなと思った。化粧をするのはどの地方も同じですな(笑) 1回、柳ヶ浦で乗り換え最初の目的地である宇佐に到着。 ↑柳ヶ浦(古さを感じさせますね・・・) 宇佐駅からバスに乗って、宇佐八幡宮へ向かう。 宇佐八幡宮は日本史に登場してくる神社である。 平城京の時代に時の権力者である法王道鏡が天皇になるために画策する。時の帝である称徳天皇(重祚)が豊後の宇佐八幡宮に信託を受けに行くように側近である和気清麻呂に頼む。結果は和気清麻呂と和気広虫(姉)とで道鏡の天皇になることはなくなった。 そういった由緒のある神社である。鎌倉の鶴岡八幡宮や京都の石清水八幡宮もこの宇佐八幡宮の分祀である。 ↑宇佐八幡宮 <参考blog> 鶴岡八幡宮:Go to East! with 18 youth tickets~日本史資料集の旅~ 石清水八幡宮:川を渡るために~予定は未定~ 参拝の帰り道、ダンディーな男性に声を掛けられる。「カメラを撮ってください」と言われたので快く引き受けた。その方と途中までご一緒する。その方は東京で医療関係のお仕事をされているらしく、出張で大分に来たそうだ。社内ではたわいもない世間話をした。なんだか新鮮な(ホットな)話を聞けてよかった。 ダンディーな方とは別れて、杵築という駅で降りる。今回の旅で中津に行くか杵築に行くか考えた末、杵築を選んだ。なぜか・・・ 中津は小倉に近いのですぐに行ける感じがしたからだ。 そんな理由で選んだ杵築は、大変面白い街であった。 杵築には大友氏の家来である木付氏が建てた城がある。江戸時代には細川氏の領地となる。 なぜ面白い街なのか・・・ これといった軍需工場がなかったせいか、太平洋戦争時に空襲を受けることなく、城の町並みが残っている大変貴重な町である。城は海に突き出した岬に立っており(河口にそびえる)、そこから城下町が形成された。 杵築の町の人はみな「サンドウィッチ型城下町」と呼んでいた。ふたこぶラクダのように台地が二つあり、当然間には谷間が合う。江戸時代の士農工商にのっとり、身分の高いお武家さんはみな台地に居を構えた。商人は谷間の谷町というところに商人町を造営した。 この形は日本の城下町を見ても大変珍しい形だそうだ。 詳しくはHPにで開設するつもりである。(あくまでもつもり・・・) ↑勘定場の坂(台地があるので当然、坂も多し) しかし杵築の人々は本当に親切でした。資料施設では本当に懇切丁寧に説明をしていただけた。インターネットだけでは得られない、現地人の生の声を聞けて本当によかった。 電車の都合上、杵築を十分に見ることができなかった。死ぬまでにもう一度おとづれたい場所の一つとなった。 杵築からは時間上・ダイヤ上の都合により特急を使って小倉に向かった。これは青春18きっぷとはまた別途料金がかかる。いわゆる「ショートカット」だ。 小倉についたころにはもう16時になっていた。急ぎ目的地の小倉城と庭園・松本清張記念館を回るべく、大阪人クオリティーの速足で歩く。(知っている人だけわかる言葉でいいますと、three time's as ~ as) 小倉城は細川忠興が建てた城で、現在は模擬天守となっている。 そばには庭園がある。この庭園は非常によく天守閣が見える構造になっている。 ↑小倉城(庭園より眺める) そばには松本清張記念館がある。点と線や砂の器などの作品を書いた作家である。 ある方の影響で推理小説のほうに傾いたとき、たまたま本屋で目に入ったのが松本清張の「点と線」であった。以来虜となっていまい、今でも何かしらの本は読んでいる。 資料館もじっくり見ることはできなかった。しかし今まで読んだ本や松本氏の生い立ち・経緯を知ることができ大変参考となった。 先ほどから延べているように時間がなかった。ないというのは閉館時間ぎりぎりということである。最後に庭園に回ったのだが、出口を出た時にはもう入り口が半分とじられていた・・・ 小倉は本当に足早に回った。途中駅に向かう商店街で、衝撃的な店を発見・・・ 日本橋系で最近心斎橋に移転した店がありました。ちょっと意外・・・ 小倉からは準快速という関西圏では危機なじみのない種別列車で博多に向かう。 1時間立ちっぱなしで結構しんどかった・・・ いっそうのこと新幹線に乗ればよかった・・・ ホテルに着いた時にはもう20時だった。その後、お土産を買いに街に繰り出し、ホテルに帰ったらオールスターゲームで大逆転のシーンだった・・・ MVP・・・ 本当に詰め詰めスケジュールで目的地を回った。この手日で多くの人とふれあい、机上や資料集・インターネットからは知ることのできない生の情報を、実際の目で見ることができた。しんどい半面大変有意義な時間を過ごせた。 また機会があれば同じところをゆったりとした時間で見てみたいものだ。 【2日目:小倉~宇佐~杵築~小倉~博多】 付録:行程表(記号の説明 ( )乗り換え //下車 ∽折り返し ・・・徒歩) 前夜→<ムーンライト九州博多行>→(小倉//)→<普通柳ヶ浦行>→(柳ヶ浦)→<普通臼杵行>→宇佐//→<バス>→宇佐八幡宮→<バス>→宇佐→<普通大分行>→杵築//→<バス>→杵築市内→<バス>→杵築→<特急ソニック38号博多行>→小倉//・・・小倉城・・・松本清張記念館・・・小倉城庭園・・・小倉→<準快速大牟田行>→博多//・・・ホテル |
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2008 07,30 22:27 |
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ついにこの季節がやってきた…
青春18切符 今年も昨年と同じく「ムーンライト九州」で西に向かう。 昨年は下関まで行き、引き返して岩国・宮島・広島を巡った。旅のスローガンは「就職戦線を乗り切れ!!」でした。 今年は九州へ上陸する。九州と言っても北部のみである。鉄に重きを置きたいが、やはり遠くに行くなら城巡り!! ということで今年のスローガンは「北九州城郭巡るぜ!!」です。 無事21時59分新大阪駅を発車。車内では某歌手のラジオや某盗賊の映画をみるつもり… 人生3度目のムーンライト九州なかなか乗るのに慣れた。昨年の春のように灼熱ではなく、夏のように酔っ払いはいない… しかし今年は6人のうるさい乗客が… 列車に関わらず旅はトラブルがつきもの… トラブルが無いことを望むばかりだ!! 【1日目:往路】 付録:行程表(記号の説明 ( )乗り換え //下車 ∽折り返し ・・・徒歩) 自宅最寄り駅→<省略>→(大阪)→<新快速野洲行>→(新大阪∽)→<ムーンライト九州博多行>→夜は更ける |
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2008 06,15 23:26 |
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今日はtrans-portさんとともにまたも「近鉄乗りつぶし」に行ってきた。
今回向かったのは、行政区分的には近畿地方なんですが地理的に名古屋の影響をもろに受けている三重県。その中でも松阪市に行ってきた。 どの電鉄会社も自社の命運をかけた出来事や路線がある。 阪急ならば、JR(当時は国鉄)との競争と沿線宅地開発など。近鉄ならば伊勢地方の観光開発や沿線の寺社仏閣への輸送など。各社さまざまな戦略をもって収益を確保してドル箱路線と呼ばれるものを形成していったはずである。もっとも有名なのが阪急の宅地開発である。田舎に通すだけではまったく利益の出ない。だからそこに宅地を作る。今でいうニュータウンである。 今回は近鉄に乗ったので、近鉄の話をしたい。 近鉄は私鉄の中で営業キロ数が第一位の会社である。2府3県に路線を敷き、多くの人を移動させている。私が考えるドル箱路線は、「奈良線」と「大阪線」の二本。ではなぜドル箱なのか・・・ (今回は奈良線のみ取り上げる。大阪線を経由して松阪に行ったのに、大阪線のことにも松阪のことにも触れません。読んで頂いたらわかりますが、昨日のblogの尾を引いています) 奈良線は、大阪難波から奈良に至る路線。(正確には難波線があるが、今回は奈良線と呼ぶ) 多くの通勤通学客を日々運ぶ路線である。沿線には多くの私立学校やニュータウンが形成されている。地理的にも優位なところを走っている。 JRは奈良に向かう路線が2本ある。JR大和路線とJR学研都市線の二本。両線とも大阪・奈良間に横たわる生駒山地を避けてしかれている。そのため大阪都心から奈良への所要時間が必然的にかかる。しかし近鉄は生駒山地にトンネルを掘ったことで、JRと比べると圧倒的に早い。このトンネルには多くの時間と歴史が眠っている。(今回は多くは語らない・・・ 気になる方はwikiへ) 昨日のblogで時間のことを取り上げたが、朝はなぜか時間の過ぎるのが早い。某ファーストフードの宣伝で「朝は時間が早い」みたいなことを言っていたがまさにその通りである。奈良線がドル箱路線になったのは、「早く大阪に行ける」が強みだったのではないだろうか。そして今もそれが強みであろう。快速急行を使えば40分弱で行けてしまうのだから・・・ |
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