2024 10,09 15:26 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2008 03,14 22:22 |
|
今日は久しぶりに9時起きの生活をした。連日7時に起き、9時には家を出るというハードなスケジュールの毎日だった。
考えてみれば、大学に行くのも7時に起きて、8時には出ていた。今やっている就職活動と労力を比較してみれば、就職活動の方が若干楽に思える。しかし大学に通う際は、急行列車の中で寝て体力を温存していた。就職活動は場所が近いし人ごみも多いので寝ると言うことは無理に近い…… この一週間ぶっ続けに説明会に参加してきた。当然のことながらすべての会社が自分にマッチしているとは思わない。会社がはも選別するなら、こちらサイドも選別する権利はあると私考える。 毎日毎日出かけていると体力が続かない。どうすればいいのか・・・ PR |
|
2008 03,13 23:39 |
|
2008 03,12 23:43 |
|
本日2回目の更新です。
今日は朝方から鼻がむずむずしてどうしようもなかった… 街を歩くと「どうする~♪」や「レ!!」の会社がポケットテッシュを配っている。今日の私には持ってこいでした。 建物に入ると若干ながらましになるがなお続く鼻のもどかしさ… 説明会もテストも鼻がむずむず。「確実に花粉か…」 そんなことを思いつつ地下鉄に乗り込み座席にすわると、にわかに体が熱くなる。「疲れが溜まったか…」と思い、地下鉄を降り家まで歩く。 しかし家に帰ると状況が変わった。今まで息を潜めていた奴らが現れ、喉に痛みを与える。 「ヤバい!!風邪引いた!!」 気付いた時には遅い。今までの症状は花粉ではなく風邪であった。まだ軽い風邪なので、置き薬とのど飴で風邪を撃退することに。しかし今日すべきことはできなくなった… 明日も説明会があるので大事をとって床に入る…… みなさん風邪を引かないように 〈風邪の方程式〉 花粉≠風邪=街中×(滞在時間+人ごみ)+側からの感染 |
|
2008 03,12 18:50 |
|
(昨日書くつもりでいたblogです。内容は3月11日のものです)
「不連続シリーズ:川を渡るの姉妹版」をついに作ってしまった 不連続シリーズ:通りを歩く 第一弾の今日は、淀屋橋から御堂筋・本町通・谷町筋を経由して谷町四丁目に向かいます。 今日は淀屋橋で会社説明会があった。終わったのが12時30分。火曜日ということもあって週刊誌を買うことに。都合よく淀屋橋駅構内に本屋があったのでここで購入することに。その後、普通なら地下鉄に乗って帰るのだが、ぽかぽかした春の陽気に誘われ、途中まで歩くことにした。 この時期、御堂筋の並木は枯れている。そのおかげでビルがきれいに見える。あいにくカメラを持参していなかったので皆さんにお伝えすることができない。御堂筋は名の通り「御堂」が道沿いにあることに由来する。本町あたりに本願寺(浄土真宗)のお寺がある。北御堂と南御堂である。その2つの御堂から御堂筋という名がついた。京都の東西の本願寺に比べてとちっさなものだが、都会にあるお寺としては大きいものである。 その御堂筋を淀屋橋から南下する。両脇はオフィスビルが立ち並び、スーツ姿の人々が行きかう。なんとも活気にあふれた町である。御堂筋は、南一方通行で道幅も広い。車は一方を向かって悠然と流れていく。そんな御堂筋を歩くだけでなんだかわくわくする。高校時代、A君とseries500さんと3人で梅だからなんばまで歩いたことを思い出した。そのときは、A君が日銀大阪支店の写真を撮って、骨君に「今アメリカにおる」とからかったメールを送ったことを思い出した。今となってはケータイで国際電話は普通であるが、あの当時はできる機種はほんの数種だった。そんな思い出のある御堂筋である。 淀屋橋を出発して10分ほどで、本町3の交差点に到着する。ここからで御堂筋とお別れして、進路を東に向ける。本町通に入り東に進む。本町通は御堂筋と比べて道幅が狭い。大阪は碁盤の目の用に道が走っている。これは京都と同じである。歴史的には条坊制といい、日本で始めて条坊制を取り入れたのは、奈良県中部にあった藤原京からである。これは唐の国長安をモデルにしたもので、その後の日本の都市計画の見本となった。大阪は条坊制とは言わない。それは都が置かれなかったからだ。厳密に言うと、都が置かれたときには条坊制はなかった。現在の碁盤の目のような道は、太閤秀吉公が基礎を作り、徳川家康(江戸幕府)が作り上げたことになる。 そんな大阪にはたくさんの通りがある。京都にようにひとつずつ通り名はないが、ひとつだけ京都と違うことがある。それは「通りの名前で東西・南北」がわかることである。大阪は南北に走る通りには「筋」という名をつける。東西には「通」とつける。例として御堂筋・堺筋・松屋町筋・谷町筋は南北に走り、土佐堀通・本町通・長堀通・千日前通は東西を走っている。 そんな本町通は御堂筋と違って建物の大きさがまばらになる。歩道も狭くなる。しかし歩行者は多い。本町3の交差点から少し歩くと本町1の交差点にたどり着く。ここは堺筋と本町通がクロスする。これといったものはないが、堺筋の下には地下鉄が走っている。加えるならば、堺筋を南下すれば、聖地と称されるところにたどり着く。そんな堺筋を通過し次の通りにさしかかる。 内本町2の交差点では、松屋町筋とクロスをする。大阪人は発音しにくいせいか「まっちゃまち筋」と読んでいる。この松屋町筋はシーズナリー商品を売るお店が建ち並ぶ通りである。通りの名前の由来になっている松屋町界隈では、雛人形・五月人形・花火・クリスマスツリーといった季節ごとに商品を買えていっている。中には駄菓子の問屋なども見受けられる。その松屋町を過ぎ下寺あたりを過ぎると、いっきにバイクの店が増える。通称バイクロードといわれ、通りの両脇に十数件の店が立ち並ぶ。ドンつきは国道25号線である。国道25号線は始まりが、梅田新道で御堂筋を経由し大国町あたりで東進、その後四天王寺・八尾・柏原を通り王寺・天理・・・というふうに有名どころを通過した後、最後は三重県四日市市までいたる。 以上は余談である。松屋町筋を過ぎ、本町通を過ぎると道はにわかに坂道となってくる。今は都市開発が進み昔の面影がなくなってしまったが、大阪には上町台地という台地が南北にある。この影響で坂道となっている。坂を上るとそこは谷町筋である。谷町筋は上町台地の谷を走っていることから名づけられ、谷六あたりには多くのお寺が点在している。 このたびも終盤に差し掛かり、地下鉄に乗って帰るために谷町筋を南進。少し行った谷町四丁目から地下鉄に乗り込み帰路につく。 これからもまた多くの場所に就職活動で訪れることになる。そこで見つけた歴史や・地域の特性・町並みを考察としてblogに載せて行きたい。内容はさほどですが皆さんお付き合いのほどを・・・ |
|
2008 03,11 23:43 |
|
2008 03,10 23:13 |
|
今日は朝から説明会があったので出掛けることに… 今日は自分が想像していた会社と違いました…
その後、梅田に立ち寄ることに。昼御飯も食べなあかんし、卒論の資料を探しに本屋に行かなあかんし…… 昼御飯はいつも通りのところで食べました。 その後ホワイティと言われる地下街をつっきぎり東梅田にある「旭屋書店」へ… いつも通り8階へ行き、鉄関連の雑誌を見る。しかし今日は「貨物時刻表」を探しに行くことに。例年通りの場所に行くと時刻表はおいてなかった。店員に聞くと「3月中旬入荷」だそうだ。個人的にはダイヤ改正までに入手したかった… 8階の誘惑に負けず、続いて4階へ向かう。卒論テーマに関連する書籍を買うためだ。端末で書籍を探すと「取り寄せ」という文字が… 無いものを出せ!!というのは酷なので取り寄せすることに… 最長2週間かかるそうだ。正直締め切り間近……みたいな。 その後1階に行き、唯一あった卒論の雑誌を入手。何とか10000字のうち、2500字はうまりそうです。(A4 5枚やったかも) 精算を済ませ立ち去ろうとした時、視界に入っては行けないものが入ってしまった。 昭和の鉄道 以前より目をつけていたのだが、ちょっと値が張るので控えていたが今日ついに購入した!! 内容はなかなか歴史的資料満載です!! 変な終わり方ですが今日はこれくらいで |
|
2008 03,09 23:39 |
|
今日は日曜日である。世間一般的には休みだが、私はそういうわけに行かない。
先週は就職活動と趣味の鉄道との両立を図ってきた。本来なら就職活動に専念するべきなんだが、それでは精神的に持たない。なので息抜きのために趣味に走った。しかしその分溜めていた仕事が回ってきた。 今日、久しぶりにパソコンの締め切り表を見てみた。久しぶりといっても2日ぶりだが・・・ すると締め切り間じかのものが3つも!! 朝10時に見たんだが、背中から変な汗が出ました。それを見て以来書類やらwebテストやらにおわれていました。 しかも締め切り間近のやつには「ゼミの内容」と言う感じのやつを1000字で書けという内容がありました。はっきり言って500字が限界です・・・ ゼミ入っていない人はどうなるんだろうという考えも出ました。 今日のblogはこれくらいで・・・ 正直この内容見てもらったらわかりますように今非常に混乱しています!! |
|
2008 03,08 23:42 |
|
2008 03,07 20:34 |
|
大阪の中で一番東京に近いところ。それは新大阪駅である。1964年より東京にグ~ンと近くなったところである。
今日はそんな新大阪駅で久しぶりに駅撮りをすることに。ターゲットは来週廃止になる寝台急行「銀河」と寝台特急「なは・あかつき」である。昨日も京都での説明会の後に停車している寝台特急「なは・あかつき」を撮った。昨日は夜の撮影とあって厳しいものがあったので納得したものが撮れなかった… なので日がでている朝方を狙い、新大阪駅に向かう。 5時20分に起き、5時56分の電車に乗る。金曜日は「ノーマイカーフリーチケット」が使える日!!当然購入。 新大阪駅の所定の位置に着くと三脚にカメラ3つ着けているかなり熱のはいった人が… 個人的な意見だが、駅で三脚を立てるのはどうかな…と思います。特にイベントで人が多く集まるときほどマナーの悪い人がいます。三脚立てなければもう一人キャパが増えるのに…… そんなことを思いつつターゲット写真を撮る 急行きたぐにと寝台急行銀河の2種類を撮った後「なは・あかつき」を狙う。今日は山陽本線内のトラブルにより25分遅れの到着となった。 今日は久しぶりに写真を撮ったということでかなりいい気分です。しかし、午後からは説明会があり、かなり睡魔に襲われました。就職活動しながら趣味に時間を割くのもなかなかいいですね。しかし没頭しすぎはあきませんね!! 今日撮った写真は私が運営する「さすらい旅人気まぐれ日記」の特別展示場に記載しておきますのでまた見てください。http://freaklogbook.uijin.com/index.html |
|
2008 03,06 19:24 |
|
不連続シリーズ:川を渡る
第二弾の今日は「近々大学に立ち寄ることはないですか??」と半ば強制のメールが大学から来たので、木津川を渡り、大学に行きます。 先ほども述べたように大学から登山命令(←大学の地形上あえて登山と言っておきます)が下された。今日は京都で説明会があるので、ついでと言っちゃあおかしいが大学に行くことに決めた。 大学に行く方法として選択肢がいくつかある。私は、幼少期より近鉄ばかり乗っていたので、大学へ通うのに大和西大寺経由近鉄京都線を利用している。近鉄京都線(以下京都線)は大和西大寺駅~京都駅までの間にいくつかの川を渡る。北から鴨川・琵琶湖疎水・宇治川・木津川などである。今回は一番奈良寄りに近い「木津川」にスポットをあてたい。 木津川の源流は三重の名張辺りである。川の名は地名をとって名張川。赤目四十八滝も源流のひとつである。源流は当然川上にあるため水は清らかである。この辺りには天然記念物の「オオサンショウウオ」が生息している。 そんな源流から流れ出た川は伊賀市内を通り、国道163号線(伊賀街道)と平行して加茂に入る。加茂の辺りからは木津川と名は変わっている。加茂あたりは夏になると川遊びやキャンプ客で賑わう。国道163号線には年中、工場車両やトラックが行き交う。そんな加茂は鉄にとって要所ではないだろうか。 加茂は関西本線に属し、加茂から大阪方は電化区間。名古屋方は非電化区間となっている。当然電車は名古屋方面に行けず、加茂からディーゼル車となる。2006年3月上旬まで1日1往復名古屋~奈良間でディーゼル車の「急行かすが」が運行されていた。しかし今となっては昔の話である。 そんな加茂を抜け、平成の大合併で誕生した木津川市に入る。ここでは木津と呼んでおこう。木津は川の名前と同じ街である。街の名前は奈良時代まで遡る。710年に遷都された平城京。造営にあたり多くの木材を木津川を経由し、木津辺りで陸路に切り替え奈良に運んだ。木材の港から「木津」という名がついた。 そんな由来を持つ知名のそばを流れる川。木津川市を過ぎると流れは北に向かう。川を平行して今度は片町線(JR学研都市線)が走る。近鉄京都線とは木津川台~新田辺のあたりまで並行して走っている。川は京田辺市に入り再び進路を西に戻す。戻すとすぐに近鉄京都線の木津川橋梁が川を跨ぐ。かつてこの端の南側に駅があった。川の名前を取って木津川駅である。よく似た名前に木津川台という駅があるが、これは木津川市内の駅である。(注1) 木津川駅はそばに流れる川で遊ぶために作られた駅と私は聞いている。高度成長期の1974年に廃止となった。私が考察するに娯楽の向上や川の汚れが原因で川遊びができなくなったのではないかと考える。今わ影も形もなく、新田辺~富野荘間の区間が長いことが駅のあった名残だろうか・・・ 木津川橋梁をこえると川は再び北上する。途中、2時間ドラマでよく撮影が行われる「木津川の流れ橋」がある。一度行ってみたいのだが電車でのアクセス方法がかなり悪く、いつも行こうと計画するが頓挫してしまう。個人にオススメするのが、新田辺(または京田辺)から川沿いに歩き、流れ橋を渡り富野荘に向かうコースである。一度行ってみてはどうだろうか。結構距離ありますので夏場は水分補給を!! 流れ橋を挟んで高架橋が2つ見える。国道24号線のバイパス機能を果たす「京奈和自動車道」と国道1号線のバイパス機能を果たす「第二京阪道路」である。後者は、最近できた阪神高速8号京都線とつながっており、将来的には近畿自動車道に接続される。全通した場合は、近畿自動車道門真市付近から京都市内油小路通りまで行ける事になる。 そんな高架橋を過ぎると、昨日考察した淀川と合流する。はじめに宇治川と合流し、その後桂川と合流する。そして淀川と名を変える。 今日も不連続シリーズ「川を渡る」をお伝えした。歴史考察といいつつ、鉄のにおいがするblogとなってしまった。今度はいつするかわからないが、今度川を渡ったときに考察を行うことにする。乞うご期待しないでね(笑) 注1)木津川台駅と木津川駅について・・・近鉄京都線 大和西大寺・・・(省略)・・・山田川-木津川台-新祝園・・・(省略)・・・新田辺-木津川-富野荘・・・(省略)・・・京都 木津川:現在は廃止。面影なし 木津川台:京都線内で最も新しい駅。そばに近鉄が造営した木津川台という住宅地があるが、直接向かうバスはない。もっぱら手前の山田川からである。 |
|
忍者ブログ [PR] |