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2008 08,22 23:00 |
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<8月22日 第1部 -奈良国立博物館へ->
今日はかねてより計画していた、奈良国立博物館で催されている「西国三十三ヵ所 観音霊場の祈りと美」という特別展に行ってきた。 いつごろだろうか。祖父の影響で西国三十三ヵ所の巡礼をし始めたのは・・・ まだ全部は回っていない。今回は特別展の題名にもなっているように「祈り・美」をテーマに様々なモノが展示されていた。 当然お寺なので仏像が多く展示されていた。重要文化財や国宝級のものが数多く展示されていた。 中でも普段は秘仏の京都清水寺の千手観音坐像には圧巻された。千手観音とはさまざまな形式のものがあるが、多くは俗世に生きる人たちを救うために多くの顔と手で救うというものである。古くよりこういった観音信仰が盛んであった。 なぜ今回この特別展が催されたかというと、西国三十三ヵ所の中興の祖である花山院(かざんいん)が今年でちょうど一千年御忌にあたるためである。花山院は17歳の時に即位し、19歳の時に出家をする。その後、紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を受ける。そして中山寺で宝印を探し出し、播磨国(現在の兵庫県)書写山の性空上人、河内国(現在の大阪府)石川寺の仏眼上人と中山寺の弁光上人を伴い三十三箇所を巡礼したことから、やがて人々に広まっていった。このため中興の祖て言われるようになった。 そんな花山院一千年御忌を記念して行われたのである。 時代時代の仏像が安置された板が、当然時代によって素材や製法が違う。 飛鳥・奈良時代では銅に渡金(金メッキ)をする製法が盛んに行われた。平安時代に入ると木を使って一木造が盛んに行われた。鎌倉期には寄木造が行われた。 時代がすすむにつれ技術も進歩し仏像の形や顔つきにも変化が生じる。飛鳥時代では見せるを基本にしていたため、横から見ると大変薄い仏像となっている。しかし鎌倉期には、安置する形式になり、木でがっちりとした形式の仏像が現れる。 今回の特別展では、高校時代に習った内容と今までに見てきた仏像を総合的に見れた。大変有意義なものだった。多分もう一回ぐらいはいくだろう・・・ 【追記】 奈良で某魔法学校をやってしまった・・・ 級はそのままで歴史だけ☆4になった・・・ PR |
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