2025 05,07 10:38 |
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2008 06,24 23:15 |
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昨日に引き続き、今日も「ぶらり旅」に行ってきたさすらい旅人です。
今日は予てより行きたいと思っていた奈良国立博物館で行われている「法隆寺展」に行ってきた。 歴史の好きな人で、人それぞれ好きな時代というものがあると思う。私は世間に多い戦国マニアであるとともに仏像マニアでもある。仏像マニアというと語弊があるので、仏像を干渉するのがすきと述べておく。 今日行った展覧会は非常にいい内容であったと思う。火災で焼失した壁画の修復版が展示されていた。なかなか日ごろ見れるものではなく、大学生800円にしてはかなり得をした感がある。一度皆さんもぜひ行ってみてください。 11時ごろ博物館を出て、東大寺の大仏殿に行くことにした。昨日とは打って変わって今回はちゃんとした準備をしてきた。 東大寺は昨日同様中学以来の参拝である。6月ということもあって多くの学生でにぎわっていた。久々に大仏を見たが、やはり大きさには圧巻だ。見ているときに横の観光客(多分関東圏の方)が「鎌倉と比べ物にならない」と言っていた。そりゃ~当然でしょ。国家の威信をかけて造立したんだから。 <-補足-東大寺大仏> 皆さん「奈良の大仏さま」と呼んでいますが、正式名称は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」という。聖武天皇の頃に疫病が流行り、鎮魂のために建立された。743(天平15)年に「大仏建立の詔」が発せられ、752(天平勝宝4)年にインドの僧菩提僊那(ぼだいせんな)によって開眼供養の儀式が執り行われた。 当時の大仏は黄金(金メッキ)で施されていた。しかし1180(治承4)年の治承・寿永の乱の際、平重衡の南都焼討により、大仏殿ごと焼けてしまう。その後、重源や陳和卿などの協力で再興される。 が、またしても焼討がある。1567(永禄10)年、松永久秀の焼討によるものである。戦国時代という時代背景もなってなかなか復興ができず、その間胴体と首が分離されたままであった。江戸期に入り復興され、現在に至る。 補足なのに余談だが、「目から鼻に抜ける」という言葉は東大寺の大仏から生まれた言葉である。 そろそろ本題に戻す。東大寺は大仏殿だけではない。皆さんご存知の正倉院や春の訪れを告げるお水取りで有名な二月堂などさまざまなお堂が存在する。今日はそれらのお堂をすべて回った。お堂に間それぞれ仏像が安置されている。中には秘仏のものもなりすべて見ることができなかった。今回見ることのできた仏像は、悠久の時を越えて今も大切に安置されており、奥ゆかしさと尊さを窺い知ることとができた。 大仏はメインかもしれないが、一度回りも見てみることで違った何かを見つけることができる。それは観光だけではなく、日ごろの生活で応用できることではないだろうか。私はそのように思う。 <今日の一枚> ↑東大寺大仏殿 PR |
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コメント |
奈良の大仏ですか・・・中2の春(?)の遠足以来、行ってないですわ~
確か、4期生のトップ・バカが迷子になったときの遠足でしたよね?(まぁ、我々の策謀だったんですけどねぇ~) そういえば、2年程前に重源上人800年祭でスカパラが大仏の前でライブやっていたのを見たかったなぁ~、、、なんて、記事とは全く関係ないけど思い出しました。。。 しっかし、活動的で羨ましい限りです。 まぁ、私にはそこまでの体力・財力・ヤル気が無いワケですが・・・(苦笑) |
Topバカを画策によってはめた遠足でしたね~~
体力・やる気はあっても徐々に資金がやばくなってきています。 スカパラやられたんですか。大仏の前でやるのっていいですよね。近々歌舞伎をやるみたいなので見に行きたいのですが、一人で行くのはなんとも・・・ |
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